開院した理由

それからいろいろ調べたところ、目の不自由な人は按摩マッサージ指圧、鍼灸などを生業にしている人が多いということを知りました。

これは視覚障害者の就労支援の関係で、盲学校などで「あん摩マッサージ指圧師・鍼灸師」の国家資格を取得するために勉強させてもらえるからなのです。

私は症状が重く、医師からは「将来失明する確率は高いでしょう」と言われていました。

そんな状況では仕事を選り好みしている場合ではありません。

とにかく、技術を身につけ自立して生きていけるようになることしか考えていませんでした。

国家資格を取るための専門学校在学中、外部の鍼灸の研究会にご縁をいただき、そこで凄い先生との出会いがありました。

その先生に付いて勉強していけば、同等までにはいかなくとも食べていくには困らないようになるだろうと本気で思っていたのです。

その先生は東京-大阪くらいに離れた地域で開業されている先生だったので、私は国家資格に合格したあとすぐ、教えを請うためにその先生の住む町へ引っ越しました。

これが26歳のときのことです。

満を持しての独立開業

それから3年間、みっちりと勉強しました。

ただ少し、教わっていることに疑問を感じ始めてもいました。

その治療の理論や技術に、どうにも納得できない部分があったのです。

でも技術というものは、未熟な者はどうこういう資格はありません。

「守・破・離」の「守」の段階ですから、教えられたことを素直に実践するのみです。

それでもいつか納得できる時期がくるのだろうと信じていました。

そして修行期間を終え、2006年に地元へ帰って独立開業しました。

(奈良市西登美ヶ丘にて「いなだ鍼灸庵」を2006年開設)

いなだ鍼灸庵

これが29歳のときのことです。

独立したら、もう自分の力だけでやっていかなくてはいけません。

納得はいってなくても、教えられた通りに治療し続けました。

その結果、患者さんは症状が改善し喜んでもらえ・・・るということはありませんでした。

全然治りませんでした。

納得がいっていないことが、そのまま結果に現れていました。

そのような状態では、当然ながら治療費をいただくことに罪悪感が生まれます。

「守・破・離」で、いくら最初は「守」が大事だとはいえ、自分に嘘をつきながら納得のいかないものを続けていくことはできなくなりました。

でもこれまで、そのことしかやってこなかったのです。

残されたものは何もできない無力な自分。

実は独立した二ヶ月後に長男が生まれていました。

家賃は13万円。日々の生活で貯金がどんどん減っていきます。

このときは本当に絶望感しかありませんでした。

一から出直し

凄い先生の真似だけをするような、そんな気持ちは捨てよう。

自分の納得できる理論・技術を学びなおそう。

自分も患者になって色々治療を受けて、効果を体験しよう。

本当に世の中に必要とされる人間になろう。

そのように考えだしてから気付きました。

それまでの考え方は、「生活していけるように」という自分のためのものだけだったと。

それからは治療そのものが変わりました。

患者さんの症状が改善するようになりだしました。

独立開業の二ヶ月後に生まれた長男と妻、家族を養っていけるようになりました。

四年後には次男も生まれて四人家族になりました。

経験を積むにつれて、どんな地域でも生きていける自信が出来てきました。

そして34歳のとき、10代の頃から憧れていた東京に移転しました。

自分が心底納得できる理論・技術の治療をして世の中の役に立ち、自分が住みたい街で生きていく。そんなことが実現しました。

絶対に守り抜く「軸」

自分のことだけを考えていたころは、何もかも上手くいきませんでした。

しかし、「患者さんのため」を考えて、本当に必要とされることをしていけば、自然と上手くいくようになりました。

いろいろありましたが、いま思うことは・・・

世の中が良くなるために

このことをベースに考えて判断していけばいい、ということです。

これまでは自分の力で患者さんのお役に立つことで世の中に貢献してきました。

これからはその技術を後進に伝えていく仕事もしていこうと考えています。

より多くの患者さんの助けることができますし、世の中が良くなるための力になれると信じています。

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